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謹賀新年

こんにちは!骨格矯正エキスパートの佐塚です。

謹んで新年のお慶びを申し上げます。
昨年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。

さて本日は、地元の用宗浅間神社へ参拝後、持舟城跡へ登り、富士山を眺めて来ました。
きょうは良い天気で良かったです。

持舟城跡について簡単に説明したいと思います。

持舟城は、昔から村民たちに”城山さん”と呼ばれています。
今でも用宗城山町の町名に使われ、昭和59年(1984年)に開校した静岡市立城山中学校の校名は、この”城山さん”から命名されました。
持舟城築城年代は不明ですが、戦国時代の今川氏時代にはすでに築かれていたと考えられています。
江戸時代の古絵図によるとこの地は、駿河湾に面して、東北に深く入江が形作られた天然の良港でした。
現在の静岡市駿河区用宗の地名は湊(港)を意味する持舟が転化したものと言われており、今も昔も漁業と深い関係を持っていました。
今川氏はここを水軍の拠点とすると共に西方、日本坂から駿府に進入する敵対勢力を防ぐ城砦としても利用しました。
城跡は、頂上広場(高さ76m)が本丸(本曲輪)南西側のくぼ地に大堀切、井戸跡(曲輪)があり、その南側に二の丸(二の曲輪)本丸の北側には腰曲輪がありました。
北側の城の下は沼地と深田が広がっていました。
南側は海に近く、船溜まりと蔵屋敷があり、湊(港)と平山城の条件が整っていました。
永い年月を経た今でも、遺構はそのままの形で残っています。
築城から廃城までの間に、今川・武田・徳川氏によって三度の攻防戦が行われ、数百もの将兵が討死する記録が残ることは静岡周辺の他の城砦に比べて例がなく、この城の戦略的価値が如何に高かったかを物語っています。
今川氏の城主「一宮出羽守随波斎」は麓の青木の森に、武田氏の城主「向井伊賀守正重」は興津清見寺に手厚く祀られています。
最後の城主、武田氏の「朝比奈駿河守」は徳川軍に城を明け渡し、多くの将兵は城下に落ちのびて生涯を全うしました。
やがて持舟城は徳川氏のもとで廃城になりました。
後に、向井氏の子孫が城跡に観音様を建てて正重の霊を祀っています。
観音様は阿耨観音(マリア観音)と呼ばれ、今は用宗駅北の大雲寺に安置されています。
村民たちは七年に一度、御開帳を催し、その後城山烈士供養塔を城下に建立して、将兵の慰霊と現世の平和を祈っています。

城山周辺で見られる野鳥として、メジロ、エナガ、ウグイス、ヤマガラ、カワセミ、シジュウカラ、コゲラ、ハクセキレイ、アオバト、イソヒヨドリが見られます。

また、蝶はアゲハ、ジャコウアゲハ、ゴマダラチョウ、ルリタテハ、カラスアゲハ、モンキアゲハ、ツマグロヒョウモン、コミスジ、アオスジアゲハ、アオバセセリ、クロコノマチョウ、アサギマダラが見られます。

野鳥や蝶も地球家族の仲間です。
やさしい気持ちで、あたたかく見守りたいものです。

こんな看板がありました。

◆猪に出会ってしまったら・・・
(1) 近づかないこと
(2) ゆっくりと静かに後退すること
(3) 餌になりそうなものを体から遠ざけること
(4) 刺激しないこと

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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